清水寺の開山忌に行って参りました。
作秋、能絵「田村」を奉納したことに依ります。
「田村」は、坂上田村麻呂 ( 7世紀 ) の武勇と観音様のご遺徳、そして清水寺の縁起を描いた謡曲です。
田村麻呂は音羽の山中で延鎮上人 ( 開山 ) と出会い、仏道に帰依、自宅を寄贈して仏殿を建て ( これが寺の始まり ) 、いわゆる旦那になりました。
5月23日は田村麻呂の命日。 この日に開山の法要が営まれます。 今年は1250年忌になります。
処は成就院。
緑に囲まれた、美しい庭園を要する塔頭で、江戸時代初期に東福門院和子 ( 2代将軍・秀忠とお江の娘 ) が寄進して再建させたものだそうです。 古い建物ですが、美しい佇まいでした。
回廊からは雨に洗われた木々が見渡せ、鶯の高らかな声と蛙の合唱の中、
僧侶による読経が始まりました。
法要の後は、観音様に献茶し、大茶碗による茶礼が開かれました。
「四ッ頭」という、中国の禅寺で行われていた、喫茶・接待様式の茶会です。
初めて目にした茶会形式でした。
( 後で調べたところ、禅寺の開山忌には、この形の茶会が開かれているようです。
ただ、お茶の点て方そのものは、禅寺の作法とは違っているようです。)
織部流の家元が濃茶を点てられました。
織部流は、茶人・古田織部が創った流派ですが、永く途絶えていたのを、明治に入って復興させたのだそうです。 織部は秀忠の茶の師匠でした。
町衆によって広まり、隆盛した「茶」ですが、織部は以前の ( 室町幕府 ) 武家茶会のスタイルを取り入れた、広間の茶・書院の茶 を旨としたようです。
接待役の方々は袴姿。 お菓子やお茶碗を席に回される際の、足の運び方が能と同じ ( すり足 ) でした。
とても清々しく、きびきびとして格好よく感じました。 ( 私はとても気に入りました。)
粛々と始まり そして終わりました。
接待の方に伺ったところ、今年は出席者が少なかったそうです。
例年ですと、田村麻呂にご縁のある東北地方から、たくさんの方がお見えになるのだそうです。
田村麻呂 所縁の地は、被災地と重なります。
(keiko)