能絵によせて

 

日本の伝統芸能「能」の世界に魅せられ、作品のテーマと定め、描きだしてから30年の歳月が経ちました。                                    「能」の世界、それは日本独自の文化と美意識の宝庫です。                そこには生死観・宇宙観・無常観といった哲学(うたい)囃子(はやし)に現されている呼吸(())文学をでる心などが籠められています。                              「能」の世界に初めて触れる人には難しいもののように感じられるかもしれませんが、謡曲(能の物語・脚本)の題材となっているものは、古来より言い伝えられてきた伝説や故事、歴史上の出来事、神仏の奇跡のお話等の物語です。                                      誰もが持っている、喜怒哀楽の感情や人を恋い慕う心、慈しむ心、平和な世の中を望む心、五穀豊穣を感謝する心等が物語の底に流れています。                     いずれも、今日の私達となんら変わることのない、身近なものと云えます。         そして、古人が詠んだ和歌を物語に織り成して語り継ぎ、室町時代(今から六百年程前)に観阿弥・世阿弥によって現在のような戯曲の形にまとめ上げられました。            その世阿弥が生きた時代は、南朝・北朝の政治権力争いに世相が乱れ、明日の我身の行く末すら判らないという、混沌とした世の中でした。 そのような背景にもかかわらず、世阿弥は優れた感性で『風姿花伝』という演劇論を展開させ、神仏への畏敬・人の世の不条理さを「夢幻(むげん)(のう)」と云う形を借りて表現しました。                              その魅力は、六百年を経た今日に至るまで色褪せることなく、その精神も現代に受け継がれて来ています。                                      図らずも今日、世阿弥の時代と変らぬ程に世情が不安定になっていますが、そのような時だからこそ、世阿弥の「夢幻能」の中に心のより(しろ)を求めるようになっているのかも知れません。   (2008年、能楽はユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産リストに登録されました。)                                                                                    また、かつて「能絵」と呼ばれていた絵画は、今日では殆ど目にすることが出来なくなりました。                                             以前、宇和島(四国)・伊達家伝来の「(のう)()(かがみ)百五十番」という演能の舞台の場面を見事に表現された、「能絵」の集大成とも言うべき図録が刊行されたことがあります。

そこでは装束や舞の所作が、実に丁寧に描かれています。 

 

私はシテ (謡曲の主人公) を中心にして、物語の主題を背景や意匠構成によって表現する、造形芸術(絵画作品)として「能絵」を描いています。

日本古来の意匠、特に琳派(江戸初期~中期に隆盛)の絵師達が巧みに構成して描いた意匠に着目し、私の「能絵」の世界にもそのニュアンスを取り入れています。 

或いは私自身が新たな意匠を創り出し、21世紀の琳派を自負し、創作活動に励んでいます。  

私の表現する「能絵」は、演能の舞台をそのまま描いたものではありません。 

謡曲の元になった物語を深く知り、謡曲から訴えかけられてくる‘何か’を私なりに感じとり、描くことを通してその感覚を昇華させたものです。

少しでもより深く謡曲の世界を感受できるよう日々研鑽していますが、作品の表現の方もそれに併せて発展・変化し続けていきます。 

 能の物語を紐解き、その登場人物に想いを寄せると、それが故事であるはずなのに、現代の身近な人間模様を観ているかのように、私の心に映ります。

 「能絵」をご覧になる皆様も、作品と共にその物語世界へ少し想いを馳せて、一時、心を遊ばせて頂けましたら、幸いに存じます。 

 

能絵師 ・ 山 澄夫

( 在りし日の言葉より )